今年の初飲みは わかさ@白川公園 熊本市内
2010年01月12日
熊本での寒い、寒い最初のお正月を経て、初飲みは、
やはり熊本市内白川公園内に立つ最後の屋台居酒屋
わかささん。元体操選手だったと言うおかみさんの人柄
に惹かれて、集うは殆どが常連さん。7~8人も座れば
一杯になってしまうお店で、常連度も高いのだが、自分
のような新参者でも温かく迎えてくれる。
屋台の真ん中にはででーん!と大きなおでん鍋があり、
いろんなおでん種が良い感じで煮えている。こちらでは、
おでんも一本100円からと良心的値段でおすすめなの
だが、刺身や豚バラ焼き、そして時折入手次第では、
エッジのきりりと立った馬レバー刺しなどのメニューも
ある。値段表がある訳ではないので、金額的なところ
も気にはなるが、せいぜい飲んで食べても2~3千円
程度で済む感じだろうか。
入口の扉を開いて、なかを覗いてみる。先客が3名
ほど。年明けは比較的静かに始まっているようで。
あけましておめでとうございます。本年もよろしく~、
とご挨拶の後、寒い寒いと言いながら、まずはビールで。
お疲れちゃーーーーん!ぐび、ぐび、ぐび。ぷっは~!
くーーー、やはりこれですな、これ。スターターには、
雨が降ろうが雪が降ろうが、どんなに寒くても、これ
ですな。って、寒さでちょっと震えてますけど。。。(笑)
そうこうしているうちに、古くから通い詰めている常連
さんたちと昔の話になり。熊本も、昭和40年代は、
市内のあちらこちらに屋台が出て、それはそれは
にぎやかだったみたいで。わかささんのある白川
公園にも何軒かあったが、もっと中心地になる銀座
通りには端から端までびっしりと屋台が並んでいた
そうな。今も、その界隈はにぎやかではあるけれど、
殆どが雑居ビルに姿を変えてしまっているのが、
なんとももったいない気がする。街中は、そんな感じ
でどこにでもあるような地方都市の繁華街となって、
熊本らしさってどこにあるんだろうと思ってしまうぐらい
である。
その屋台も川っぺりの方はちょっとコスト的にふっかけ
られてしまうお店もあったやに聞いた。そっちの方は
やめた方がよか、と言われても、敢えて足を向けた
お客さんたちが、苦笑いして戻ってくることも良くあった
とか。
どういう経緯か分からないがお役所が、これら屋台をなくす
方策を取り始め、当時の金額で50万円を出して屋台
をやめビル内に引越しすることを奨励したらしい。それが
続いて、現在のわかささん一軒になってしまったのは、
そういう訳だ。
そんな昔話を聞きながら、屋台で溢れかえっていた時代に
思いを馳せる。まさに高度成長期の真っただ中にあった
日本だ、熊本も例外なく連日連夜賑わっていたんだろうな。
雑踏や人々のさんざめきを背中で感じながら、そこに身を
置く自分を想像してみる。もっと飲みなっせ、食いなっせ、
とお隣さんからでも、なにかれと進められているに違い
ない、だろうと。
やはり熊本市内白川公園内に立つ最後の屋台居酒屋
わかささん。元体操選手だったと言うおかみさんの人柄
に惹かれて、集うは殆どが常連さん。7~8人も座れば
一杯になってしまうお店で、常連度も高いのだが、自分
のような新参者でも温かく迎えてくれる。
屋台の真ん中にはででーん!と大きなおでん鍋があり、
いろんなおでん種が良い感じで煮えている。こちらでは、
おでんも一本100円からと良心的値段でおすすめなの
だが、刺身や豚バラ焼き、そして時折入手次第では、
エッジのきりりと立った馬レバー刺しなどのメニューも
ある。値段表がある訳ではないので、金額的なところ
も気にはなるが、せいぜい飲んで食べても2~3千円
程度で済む感じだろうか。
入口の扉を開いて、なかを覗いてみる。先客が3名
ほど。年明けは比較的静かに始まっているようで。
あけましておめでとうございます。本年もよろしく~、
とご挨拶の後、寒い寒いと言いながら、まずはビールで。
お疲れちゃーーーーん!ぐび、ぐび、ぐび。ぷっは~!
くーーー、やはりこれですな、これ。スターターには、
雨が降ろうが雪が降ろうが、どんなに寒くても、これ
ですな。って、寒さでちょっと震えてますけど。。。(笑)
そうこうしているうちに、古くから通い詰めている常連
さんたちと昔の話になり。熊本も、昭和40年代は、
市内のあちらこちらに屋台が出て、それはそれは
にぎやかだったみたいで。わかささんのある白川
公園にも何軒かあったが、もっと中心地になる銀座
通りには端から端までびっしりと屋台が並んでいた
そうな。今も、その界隈はにぎやかではあるけれど、
殆どが雑居ビルに姿を変えてしまっているのが、
なんとももったいない気がする。街中は、そんな感じ
でどこにでもあるような地方都市の繁華街となって、
熊本らしさってどこにあるんだろうと思ってしまうぐらい
である。
その屋台も川っぺりの方はちょっとコスト的にふっかけ
られてしまうお店もあったやに聞いた。そっちの方は
やめた方がよか、と言われても、敢えて足を向けた
お客さんたちが、苦笑いして戻ってくることも良くあった
とか。
どういう経緯か分からないがお役所が、これら屋台をなくす
方策を取り始め、当時の金額で50万円を出して屋台
をやめビル内に引越しすることを奨励したらしい。それが
続いて、現在のわかささん一軒になってしまったのは、
そういう訳だ。
そんな昔話を聞きながら、屋台で溢れかえっていた時代に
思いを馳せる。まさに高度成長期の真っただ中にあった
日本だ、熊本も例外なく連日連夜賑わっていたんだろうな。
雑踏や人々のさんざめきを背中で感じながら、そこに身を
置く自分を想像してみる。もっと飲みなっせ、食いなっせ、
とお隣さんからでも、なにかれと進められているに違い
ない、だろうと。