東京にいた時には、いつでも同じような野菜、魚を買えるような
気分があって、それはそれで便利と言えば便利と言えようが、
物事の旬と言うことを感覚として忘れてしまいそうになってしまう
ことは、考えて見れば哀しいことだということに気が付く。幸い、
自分の場合、魚が殊の外好物と言うこともあって、それが嵩じて、
築地にまで魚を買い求めるようになったのだが、そこには、確実
に季節を感じる旬のものが出回っている、その時期にしか味わえ
ない味がある。そのことが分かっただけでも、幸せと言うことだ
ろうか。
熊本に移り住んで4年が経つと、その季節感と言うものは、さらに
強く感じるものがある。先週まで出回っていたのに、今週になると
それが面白いほどに、ぱたりと存在を消してしまったかのような。
たとえば、空豆。東京であれば、それらはどこ産かは分からないが、
きっと未だに出回ってい、居酒屋の一品として供されているだろう。
しかし、熊本では、もう見ることはない。来年の時期が来るまで、
待たねばならない。来年まで、待たねばならない、そういうことを
改めて知ったのも、熊本に来てからである。
魚もしかり。例えば、鯖。秋から年末までの鯖は、油の乗りもあって
それは、刺身でも、酢で締めても、焼いても、煮ても、それはもうどう
やってもまずくなる筈がない、と言えるものだが、その旬が過ぎ、年
が明けてから、特に春先からの鯖はいけない。体つきも貧弱で、食べて
みても、艶やかさの欠片もない。後悔するだけである。むしろ、それを
通り越して、怒りすら覚えてしまうかも知れない。それほど、がっかり
させる味であった。
それからは、旬を迎える秋まで待つようになった。待つと言うことは、
決して辛いことではない、そう言うことを覚えるきっかけを持つことも
案外、楽しく幸せなことかと思う。
さて、長い前置きになったが、佐賀の居酒屋ふるかわである。つい
先日、熊本で知り合った飲み仲間と繰り出した時の事を記す。実は、
今回が2回目で、初回は4月だったか、その時は、東京で今では長い
付き合いとなるが、純米酒を通じて知り合った飲み仲間(一説には、
桃色吐息嬢とも言われている伝説上のザルならぬワクなのん兵衛さん)、
佐賀のそのお店で落ち合い、したたかに飲んで撃沈したのだが、
おとうちゃん、おかあちゃんのキャラクターに加えて、有明海の味
と言うものに大層気に言って、ここは良いよ、ではぜひ近いうちに
と言うことになり、2回目の訪問となったのである。
お店は、佐賀駅から歩いても、数分ぐらいの、飲み屋街エリアの
なかにある。それなりの時間の経過を感じさせる雑居ビルの2階に
あるのだが、2階への階段の雰囲気もあって、まずフリで入ること
はないだろう。でも、そこに入れば、そこでしか味わえない有明の
海の幸に確実に出会える。それを佐賀のお酒で味わう。そう思った
だけでも、また行きたくなる、そんなお店である。
カウンター数席に、小上がりが一つあるぐらいの小さな店。カウンタ
ー席に陣取って、おとうちゃん、おかあちゃんとの遣り取りを楽しん
でもらうのがおすすめだ。そして、佐賀の味。
ぜひ味わって欲しいのが、いそぎんちゃくだろう。初めて食べた時には、
むむむ、こんなおいしいものがあったのか、と唸った程だ。そして、
ちょびちょびつまんでいるうちに、つい杯を重ねてしまう。さきほど
出てきた桃色吐息嬢は、なんと下ごしらえが随分大変らしい、いそ
ぎんちゃくを丼一杯は食べてしまうらしい。小肌を酢締めしたものを、
パクパク食べるのと同じ感覚か。もっと、しっかり味わえと、頭の一つ
も小突いてみたくなろうと言うもの。
その日出されたのは、わらすぼ、くらげ、そしてエツと言う魚。おとう
ちゃんが言うには、年に2か月しか漁が出来ない魚で、どうも産卵の
為に川に遡上してくる時期にしか獲れないものなのだと。小骨が多い
魚で、例えて言うなら、コノシロが近いのかも知れぬ。九州では、ヒラ
と言う小骨の多い魚もあるが、実際に味わってみると、そのどちらでも
ない。良く噛みしめて味わうと、上品な油の味が口一杯に拡がって、
また後味の余韻がなんとも言えぬ。そして、おすすめの佐賀のお酒で
流す。これは良い。まったくもって素晴らしい味だ。このために、
時期を待って、わざわざ遠出をする価値がある。
そして、おとうちゃんとおかあちゃん。実に愛らしいお二人だ。見て
いるだけでも、こちらもほのぼのとしてくる。僕にとっても、貴重な
お店の一つになった。ありがたいことだ。
熊本から佐賀まで、鳥栖で乗り換えても、1時間もかからない
のだから、ふと思い立って、ふらりと行ってしまうだろうなあ。
佐賀の酒蔵の蔵開きの時期には、呼んでくれると言うのだが、多分
それまでは待てないような気がする。おいしいものの為には一年を
待つことができると言ったのは、ほんのちょっと嘘めいて聞こえて
しまうだろうか。
[ 居酒屋 ふるかわ ]
佐賀県佐賀市愛敬町3-7 2F
0952-26-6380
17:00~24:00
定休日:日・祝